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2005.01.27
< 筆名についての考察 >
筆名について、ご質問を受けることが多くなってきたので、以前、あるBBSに書いた文章を一部訂正の上、転載しておきます。
ただし、『かんたん短歌blog』では、以前ほどは筆名について厳しいことを言わない方針にしました。短歌に取り組む姿勢は、もっと人それぞれであっていいのではと、考えが変わったからです。
ただ、それでも根のところの考えは変わりませんから、あくまで歌人・枡野浩一の意見として、参考までに読んでいただけると幸いです。
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筆名について (文責=枡野浩一)
私は本名で書く人をどうしても贔屓してしまいます。
筆名をつかってもいいのですが、
筆名のセンスも作品のうちと考えています。
顔に似合う筆名であることが大切だと考えます
(筑摩書房『かんたん短歌の作り方』参照)。
「月」を筆名にいれるなら、
室井佑月くらいのルックスとキャラクターが必要。
センスいいなと感じる筆名は、
たとえば山田詠美です(本名は山田双葉)。
銀色夏生の筆名は、やりすぎだけど、
あれだけ売れて認知されれば勝ちだ、
私は負けを認めよう……という立場です。
人名らしくない
ハンドルネームというものは、
正直、好きではありません。
姓名のうち下の名だけを名のってサマになるのは、
ファッションモデルやシンガーや、
天皇家の人(サマがつく)だけだと思っています。
保守的でごめんなさい。
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私の趣味をお話しておきます。
「空」「風」「月」「星」というような、
漢字それ自体が甘さ(詩)を含んでる名前を名のるのは、
それが本名である場合にかぎってほしい、
というのが本音です。
私は、
「自分の力ではどうにもならないことがある」
と認めることからしか、
どんな表現も、
どんな人生も始まらないと思っています。
繰り返しますが、
「自分の力ではどうにもならないことがある」。
親につけられてしまった本名を受け入れて生きていくことも、
そのひとつだと思っています。
筆名をつくるという行為は、
そこでいったん何かをチャラにしようとする行為です。
だから筆名をつくるならつくるで、
その新しい名前を、
覚悟を決めて、
きちんと背負ってほしい。
どんな名前で生きようが自由だし、
大きなお世話と思われるでしょうが、
私自身、
かつてはたくさんの筆名を使い捨てにしていたので
(新風舎『ガムテープで風邪が治る』参照)、
自戒をこめて書かせていただきました。
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ちなみに「枡野浩一」は、
もともとは本名でしたが、
今は筆名です。
どうして結婚後に妻の姓を名のることにしたのかとか、
どうして離婚後もその姓を残すことにしたのかとか、
そういうお話は、
いずれエッセイなどで明らかにしたいと思います。
【関連記事】< 再び筆名についての考察 >
http://masuno-tanka.cocolog-nifty.com/blog/2005/08/post_04c9.html
2005 01 27 11:23 午後 | 固定リンク