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2005.07.17
< 「好き嫌い」と「レベル」の話 >
えーと、
「猫」短歌の選をしてみたんですが、
紹介しないと死んでしまうほど好きな歌は今回なくって、
諸般の事情で「評」は1回お休みします。
次回にまとめて……ということで。
で、
最近ある人に宛てて書いた手紙を、
以下に載せておきます。
特定の人に宛てた文章だから、
広く公開してしまうとニュアンスが変わるし、
語弊たっぷりの危ういことを書いているとも思うのですが、
あえて発表します。
*
*
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Xさんへ、枡野浩一より。
世の中には
「好き嫌い」
とは別に
「レベル」
というものがあって、
もちろんどこまでが好き嫌いなのか、
というのは証明しにくいことだから、
「すべては趣味の問題(=好き嫌い)だ」
みたいなことを保坂和志の小説の中の
ゲイの友達は言うわけだけれど、
やっぱりひとつのジャンルにたくさんの人が集まると、
歴然と「レベルの差」というものが生じるのです。
「好きじゃないけど認めざるをえない」
というような言い方をする必要が出てきて、
「認めるなら好きってことじゃないか」
とか言う人も出てくるけれど、
私はやっぱり「好き嫌いではないレベルはある」と
考える立場です。
たくさんの作品を見ると、
「こういうのはありがち」
というのはすぐわかるようになるし、
ありがちなものに魅力は感じにくい。
なぜなら人は、
よくあるものではなく、
珍しいものに心ひかれるからです。
安易なものより、
困難をクリアした人に拍手を送りたい、
それが人間だからです。
もちろん同案多数ということは、
人々の共感は呼びやすいということ。
でも、
「内容はありがちなのに言い方が新鮮」
「当たり前すぎて意表をつかれた」
みたいに、
どこかに珍しい部分がないと、
それは作品ではありません。
こないだの私の発言の真意は、
「枡野浩一のところには、
いろんな歌集が送られてきていて、
それをいちいち読んでしまうと、
Aさんの短歌の一部は、
典型的な若手歌人の作風に見えてしまう」
といった程度の意味です。
短歌は好き嫌いが分かれやすい。
新聞歌壇で複数の選者が同時に選ぶ歌は少ないでしょ。
だから読者不在で、
ここまで生き延びてきたのです。
「これは駄目な歌です」
とハッキリ言うのには勇気がいる。
「Bさんは嫌いだと言ったがCさんがほめてくれた」
ということでプライドが守られる。
ほめてくれる仲間たちはたくさんいます。
そういう場が嫌だから私は、
マスメディアを発表の場にしてきました。
マスメディアで、
短歌に興味のない人々に読まれる短歌を……
という視点で常に歌を選んできました。
私のような立場で歌を選ぶ歌人は今ほかにはいません。
だけど、
私の価値基準は狭い。
そこから外れるけれど、
「あなたに必要な歌」
「特定の人に愛される歌」
だってある。
それをつくる権利も、
発表する権利もある。
あなたが、
そういう新しい「場」をいちからつくる気なら、
とめる気はありません。
そこに未来があるかもしれないと、
本気で期待しているので。
2005 07 17 04:49 午後 | 固定リンク