« 『ドラえもん短歌』表記について | トップページ | 「かんたん短歌blog」の今後 »
2005.08.14
< 再び筆名についての考察 >
以前も筆名についての考察をしましたが、
再び考察してみたくなるような出来事がありました。
常連投稿者の■■さんが枡野浩一にメールで、
じつは▲▲という筆名も自分なんです、
という告白をしたのです。
(そのメールが届いたのは、けっこう前のことです。
今、そのことをわざわざ蒸し返して語っているのは、
単に私に時間的余裕が出来たから……。他意はありません。
それと、私は■■さんに対して怒っているわけではないので、
念のため)
そのメールを私なりに解釈します。
つまり■■さんは、
自分が常連投稿者の■■であるということを
選者の枡野浩一に意識されすぎているような気がしたので、
まっさらな状態で作品を評価してほしくて、
▲▲という新しい筆名で投稿してみた、
ということらしい。
たしかに最近、
■■さんを常連として強く意識していました。
たいへん申しわけないけれども
私は人の名前を覚えるのが苦手です。
常連さんであっても、
代表作と名前が一致していない人はたくさんいます。
佐々木あらら、篠田算などは、
作品・名前・顔が全部一致する例外中の例外であり、
■■さんはそんな中、
「この人はいいな」
と強く意識している
数少ない常連投稿者のひとりでした。
ひいきしている、
と言われたら、
もちろんです、
と答えるでしょう。
そもそも『かんたん短歌blog』は、
「この歌がいいと思う」
「この人がいいと思う」
と、
ゆびさす場にしようと思って始めたのですから。
だれもが同列であるかのような
幻想にひたりやすいインターネットには、
そういう場が必要だと考えています。
話が逸れそうなので元に戻しますが、
結論を言うと、
▲▲と■■がじつは同一人物であることを、
■■さんは永遠に秘密にしておいてくれたらよかったのに……
と思いました。
以前も複数の筆名をつかいわけている投稿者がいましたが、
その人も同様です。
読者や選者を一生あざむくくらい巧みに作風をつかいわけ、
別々の名前で賞をとったり作品集を出したりする、
そこまで徹底してくれたら面白かったのにと、
残念でなりません。
でもね、
笹公人さんも
新刊『念力図鑑』(幻冬舎)のあとがきに書いています。
〈新しいと思われている歌でも、本当に新しいものなど
ほとんどないと思う。千三百年もの歴史がある短歌は、
たいていのことは誰かがやっているものだ。〉
歌壇ではタブーになっているのかもしれない、
「久木田真紀」事件をあなたは知っていますか?
夏から秋にかけて、
枡野浩一は短歌関係のトークをいろいろやりますので、
その中でたぶんお話すると思います。
ネットでちょっと検索してみたけど、
あんなに衝撃的な事件なのに、
ほとんど話題になってないんだね……。
えーと、
私の考えを端的に言います。
短歌は、
まっさらな状態では評価されないものです。
もちろん1首、2首の単位でなら、
先入観のまぶされてない状態で読まれることもあるでしょう。
でも『かんたん短歌blog』のような、
トラックバック投稿を募っているブログで、
「作者のプロフィールぬきで作品を評価されたい」
と望むのは、
いささか無茶だと思います。
この場での選者は、
「作品」を通じて「作者」に出会いたい、
と願っています。
まあ、
けっこう保守的な短歌観です。
私だって、
『てのりくじら』『ドレミふぁんくしょんドロップ』
(共に実業之日本社)
を2冊同時刊行してデビューした時には、
枡野浩一という一個人のプロフィールぬきで読まれたい、
という欲望で作品集を編みました。
あの2冊は帯を外すと、
作者の情報が一切なくなるようにつくってあるんです。
だから皆さんの気持ちはわかります。
皆さんは私とはちがう試行錯誤を経て、
枡野浩一とはちがう皆さんの方法を
いつかは確立してほしいと思います。
だから、
私が『かんたん短歌blog』の投稿ルールを提示していたら、
そのルールをやぶるときには、
もっと確信犯でやぶってください。
ところで
過去ログを読み返してみたら、
私は▲▲さんと■■さんに、
まったく同じ意味のコメントをしているんですよ……。
だから、
▲▲さんの作風と■■さんの作風が、
同じであることに気づいていたんだと思う。
あー、
もしかしたら、
もっとほかにも、
筆名をつかいわけてる人がいるのかもしれない。
もしいたら、
どうか、
このまま読者や選者をだまし通してください。
あざむいている罪悪感に負けないで。
告白して、らくになろうなんて、考えないでください。
どうぞよろしくお願いします。
2005 08 14 04:30 午後 | 固定リンク