« 2月の評その2/新しい課題 | トップページ | 【日記帳から】傘をよく忘れる人は »

2006.02.22

< 【日記帳から】オリエンタルラジオ >

某月某日

オリエンタルラジオ、
ふたりの存在感は可愛げがあって憎めないけれど、
「武勇伝」ネタのひとつひとつは、
あまりにも「ふつう」。
見るたびに、ある意味びっくりする。

サラリーマン川柳に投稿しても
没になるようなネタばかりではないのか。

あれはそもそも「お笑い」なの?
見せ方のセンスで勝負してるのはわかるし、
練習も大変なんだろうと思うけれど。
「音楽」だと思えたら楽なのに……。

と、
書きながら、
やれやれ自分は歳をとったのだなと思う。
経験を積み重ねることで
初々しい感動を失っていくことを
「知の悲しみ」と呼ぶらしいけれど
(「R25」のコラムに書いてあった)、
まだ何も経ていない若い世代は、
まだ何も経ていないのだ。

わたしたちの
かなしみはあたらしい
と、
谷川俊太郎は書いた。
(「かなしみはあたらしい」より。
原文どおりではありません。
子どもの肖像』収録)

「かんたん短歌blog」の投稿作を見て、
「これは前例があるから」と没にしていく作業に、
とてもむなしさを感じる。
けれど前例があることを知ってしまっている以上、
知らないふりはできない。
私は私の狭い狭い「経験」から逃れることはできない。
それは私のたまたまの「経験」であり、
普遍性なんか全然ないかもしれない。

ネットが普及して
あらゆる「前例」が蓄積していく。
ネットは忘れてくれない。
検索すれば前例はきっと出てくる。

新井千裕が『復活祭のためのレクイエム』で描いた、
最初のコピーライターと
最後のコピーライターの寓話が、
ついに現実になったのだ。

※「読みました」と伝える気持ちで、人気ランキングをクリック!

2006 02 22 01:59 午前 | 固定リンク