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2006.04.28

< 4月の評その2 >

「短歌投稿のお約束」「トラックバックのお約束」をご確認の上、納得したら投稿してください。(「かんたん短歌blog」も3年目……スタート当時とは更新のペースなど「お約束」の細部が変わっております、最近の記事も随時ご参照ください) 初投稿の方は筆名の読み方を書き添えてください。

イラストや写真の投稿も、短歌投稿の「お約束」に準じます。将来、枡野浩一の本に参加してもらえるようなクリエーターとの出会いを心待ちにしております。

今週の課題はこの記事の末尾で発表します。そのほか、自由テーマの短歌も受け付けています。投稿数は、あまり多いと枡野浩一の心がくじけますので、控えめにお願いします。ひとつの作品を推敲して何度も投稿したり、以前の作品を改作して再投稿したりするのは、ご自由に……。短歌およびイラストや写真、そのほか雑談の投稿トラックバックURL: http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/9796904

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イラスト=後藤グミ
masuno_060425

 切通理作さん、1カ月間ありがとうございました!
 「失恋論短歌から その4」
 ……のほか切通さんの丁寧なコメント、皆さん、さかのぼって読んでみてください。
 切通さんの「読み」に影響されて、もしかしたらいい作品なのかも……と考え直したくなった歌もあったのですが、やはり私は自分なりの狭いセンスで選ぶことにしました。
 単行本『失恋論』、私とても切実な思いで読みました。面白いのに一気には読めず、読み終わるのに時間がかかりました。詳しい感想は、5/14(日)の「カフェますの」で語りたいと思っています。

 失恋論短歌の評、いきます。投稿順です。

原因は私を嫌になる人を嫌になるのが遅すぎただけ (宍戸れみ)

 恋に落ちる時と同じで、タイミングが大事ですよね。

努力していると頑張り始めたら失恋はもう始まっている (宍戸れみ)

 やや意味不明な日本語の前半、失恋で動揺しているからでしょうか。

別れるなら小指をここにおいてって あの娘と約束できないように (御厨しょうこ)

 その筋のお方かと思いました。

紅生姜なみなみ盛ったスープへと失恋滲む タベロヨ ハヤク (宇津つよし)

 失恋と食べ物は密接に結びついている気がいたします。

免疫がやられてしまっているらしく あなたに上手く失恋できない (平賀谷友里)

 後半はわかるが、前半はとってつけたよう。

恋しくて霧雨ですら沁みてくる 「心」という字に屋根がないから (宇津つよし)

 「恋」という字を見つめて「心」を発見してくれました。

幸せにさせるつもりの角部屋を子猫ばかりが謳歌している (二坂英之)

 保坂和志『プレーンソング』の短歌化かと思いました。

蛇口からきつく締めてもぽたぽたとしずくがたれるままにしておく (振戸りく)

 言葉の並び順がやや狂っているのも、失恋のせいでしょうか。

こんなにもかわいい恋の命日をいつかあたしは忘れちゃうんだ (板倉知子)

 恋の命日を「かわいい」と……。歌詞にしたい感じ。

この恋は失いません ちょっとだけむこうにあって届かないけど (岡本雅哉)

 その屁理屈が泣かせます。

上の階なにかゴソゴソ言っている お腹鳴らして張りあっていた (宇津つよし)

 やはり食べ物つながりですね、失恋。

失恋をしたときぐらい青竹は素足で踏めよ くつしたずるん (宇津つよし)

 失恋しなくても、素足をおすすめします。

そんな骨なんで大事に持ってるの 言われて気づくまで気づかない (伊勢谷小枝子)☆

 おお、至言。☆(お気にいりマーク)です。

 そうそう、歌葉新人賞が今年で最後だそうです。「かんたん短歌blog」は一応、小さなコンテストに相当するので、ここに投稿された作品は駄目だと思うけれど、新作・未発表作を集めて応募してみてはいかが。1首だと目立たないが、連作にすると目立つタイプの歌人(例、向井ちはる)もいますし。

 さて。
 只今からのテーマは、「村上春樹短歌」
 嫌いなものについてとことん考えてみたい、というのが私の動機ですが、しかしべつに皆さんは悪口を短歌にする必要などありませんよ。(むしろ批判的な短歌には点がからくなるかも。私以上に厳しく村上春樹について考えている人間は、そうそういないからです。今出てる「小説現代」で、なぜ枡野浩一が村上春樹を嫌いなのか、歌人の穂村弘さんが鋭く分析してくれています。必読!)
 村上春樹、という言葉が詠み込まれていなくてもOK。いろんな角度でなんとなく村上春樹短歌であれば大丈夫です。
 私は村上春樹の本、かなり読んでいるほうだと思うのですが、その独特の文体がどうしても脳みそを素通りしてしまうため、ほとんどまったく記憶に残っていません。本歌どりをするときは、野暮でも、本歌どりの元ネタを明記してください。
 春の熊みたいにお待ちしてます。
(でもこのテーマ、一週間くらいで飽きる気がするので投稿したい人は急いで!)

2006 04 28 01:41 午前 | 固定リンク | トラックバック

2006.04.25

< 『短歌なふたり』連載再開! >

カフェ・ブーム(枡野浩一と佐々木あらら)の
小説『短歌なふたり』は、
5月1日より以下の携帯サイトで連載再開します。
http://the-dokusho.shueisha.co.jp/

ご意見ご感想ご質問等は、
ii@masuno.de
にて、お待ちしております。
(すべてのメールにお返事は出せません、ご了解ください)

皆様にはご心配をおかけしました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

文責=枡野浩一(カフェ・ブーム)

集英社の携帯サイトは
会員制(月額税込210円)ですが、
入会すると私たちの小説だけでなく、
いろんな作家の作品が楽しめる
雑誌のようなスタイルになっています。
ショートショートの投稿コーナーもあります。

『短歌なふたり』は連載再開までの事情を鑑み、
ライブドアの携帯サイトで連載したぶんは無料公開、
それ以降は会員のみに公開……、
という特別なスタイルにしていただきました。
途中から入会しても、『短歌なふたり』は
バックナンバーを読むことができます(期間限定)。
連載期間は3カ月、
そのうち約半分が無料公開ですから、
最低1カ月会員になれば全部読めます(予定)。
(本になるまで待つ、という人がいますが、
人気がなければ本になりません……)
じっくり検討して、入会していただけると幸いです。
改めて、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2006 04 25 03:44 午後 | 固定リンク | トラックバック

2006.04.24

< ユニット名、決定! >

あるきかたがただしく9

あるきかたがただしく9

バンド「啄木」の縮小再結成ユニット、
新しい名前が決まりました。

その名も……、
あるきかたがただしく9
です!!!!!!!!!
あるきかたがただしくない

9はもちろんナインと発音します。

略して「ある9(あるナイ)」……。

メンバーは、
写真(撮影=隆青)の
向かって左が枡野浩一(歌人)、
向かって右が石原行雄(ギタリスト)。

ふたりなのに、ナイン……。

やおい本がつくられるほど、
人気が出ますように……。


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2006 04 24 03:28 午後 | 固定リンク

2006.04.21

< 【日記帳から】 村上春樹とヤスケンその後 >

某月某日

「週刊文春」4月13日号の小林信彦のエッセイと、
小林信彦のエッセイで批判的に言及されている、
「一冊の本」4月号の
寺島靖国(ジャズ評論家)のエッセイ。

読みくらべて、
後者に、
圧倒的好感を持った。
素敵な文だなあ、これ。
〈そういう時、たまたま手許に村上さんの原稿があった。こんなもの売り払ってしまえ、そう思っても少しも不思議ではありません。/売れば迷惑がかかるからシュレッダーにでもかければいいじゃないか、という人がいるかもしれませんが、こういう場合は「売っ払う」が人間の感情のあらわし方として正しいと私は思います。〉
〈確執の果てにこうした「事件」が起こった。その確執ぶりをはっきりと村上さんは文春で文章にしました。村上さんは立派だと思います。そうしなければ、安原さんは単なる「盗人」編集者になってしまうではありませんか。〉
……部分だけを取り出すと過激ですが、
全体を読むと火傷しそうな説得力です。

いやいやしかし、
こうしていろんな反響を追っていくと、
村上春樹の「文藝春秋」エッセイは、
やはり書かれてよかった文章だ、
と思えてくる。
「沈黙」したままだったら、
つまんなかった。

今回の件で引き合いに出されていた
短編「沈黙」
も再読し、
いろいろ考えさせられた。
「象の消滅」 短篇選集 1980-1991


思っていたより
人間味の見え隠れする村上春樹。
ちょっとだけ好きになりそう……。

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2006 04 21 03:59 午前 | 固定リンク

< 【日記帳から】 村上春樹の生原稿 >

某月某日

村上春樹の生原稿を
神田の古書店で見せてもらった。
値段の高さにも驚いたが、
ヤスケンの字と思われる赤字がびっしり……。

「この比喩は甘くて恥ずかしい」
「とぼけないでくれ!」
などの叱咤激励の嵐。

しかも原稿用紙の最後に、
「金はいつでもいいから。やす」
と私信まで……。

なるほど、
だから春樹は生原稿流失を
あんなにも恐れていたのだ。

という四月馬鹿の嘘
さっき風呂で思いついたよ!
遅すぎた!
もう私もトシだ……。

村上春樹、ヤスケンの小説を盗作していた!?

という嘘もよかったかも。

故・安原顯氏の小説、ノーベル文学賞受賞!

という嘘は飛躍がありすぎ?


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2006 04 21 03:55 午前 | 固定リンク

2006.04.18

< 「きれいなジャイアン」について >

前々回の「評」で、
「きれいなジャイアン」
という言葉の出てくる歌を私は選びました。

ネット検索してもらうとわかるのですが、
ドラえもんに、
「きれいなジャイアン」
というのが登場する話があるのですよね。
(ご指摘くださった皆さんに感謝します。
ドラえもん短歌に関しては、
小学館のドラえもん博士のご協力を得つつ
選をしていますので、ご安心ください)

私はそのエピソード、
見たことあったのですが、
「きれいなジャイアン」
という言葉は忘れていました。
なので新鮮味を感じて
歌を採ったのですが、
もともとある言葉だと意識していたら、
おそらくスルーしていたと思います。

という話を、
今回はしようと思います。

たとえば新井蜜さんが紹介している
穂村弘の歌
ですが、
この便器に転がす、
まるくて黄緑の消臭芳香剤というのを
知らないという人に会いました。
もちろんこの歌では、実在する玉を
何かの暗喩にしているのだろうが、
玉が実在すると知っている場合と知らない場合で、
歌の解釈はまったく変わってしまいます。

それから佐々木あららの連作の中に、
「おはよう」にあたるタイ語は「今日はもう仕事行きたくねえな」が語源  (佐々木あらら)
という歌があり、
これはまあ、
語り口に前例がありすぎるので
バツをつけたのですが、
もしもタイ語の「おはよう」が本当に
「今日はもう仕事行きたくねえな」
の意味だとしたら、
どうでしょう?
ただの事実をそのまんま述べただけの
「そのまんま短歌」になってしまう。
実際、
実在する言葉の語源(の仮説)が
その程度に突飛であることなんて、
ざらにあるのです。
つまり、
現実の突飛さに
歌の「嘘」が負けている。
(かといって「そのまんますぎて可笑しい」
というレベルでもありません)
そういう構造がある以上、
私はこの歌をまったく楽しめませんでした。

ともあれ、
今読み返してみると連作「佐々木クララ」は
かなり面白い。

ただし、
「佐々木くらら」
という人物が実在することを
ネット検索で知ってしまうと、
この連作のタイトルにはまた別の
ニュアンスが漂ってしまいます。

以上のように、
短歌に限らず、
どんな表現も、
「受け手が
どんな知識・経験・センスを持っているか」
によって、
まったくちがう受けとめられ方を
するものなのです。

まるい黄緑の消臭芳香剤の存在を
知らない若者を
「無知」と責めても仕方ない。
私たち短歌を愛する者は常に、
そのような危うさを自覚しながら、
詠んだり読んだりしなくてはなりません。
知らないとひらきなおるのも、
知っているからと威張るのも、
どちらも美しくありません。
おびえながら読み、
おびえながら詠みましょう。
でも時に顔を上げ、
背筋を伸ばして……。

以上、
珍しく教育的なことを書いてみました。
ご意見ご質問お待ちしております。

追伸。
小説「短歌なふたり」の舞台にもなった、
池袋西武百貨店内の
詩歌専門書店「ぱろうる」……
今月いっぱいで、
その長い歴史に幕を閉じるそうです。
今のうちに見ておきましょう。

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2006 04 18 04:34 午後 | 固定リンク

2006.04.17

< カフェますの/辰巳泰子歌会 >

5月、新宿ロフトプラスワンでトークイベントやります。
予約は↓ここから。
http://www.loft-prj.co.jp/LPO/cafemasuno/index.html

5/14(日)枡野浩一プレゼンツ「カフェますの」

エッセイ集『あるきかたがただしくない』(朝日新聞社)で多くのファンを失った歌人の枡野浩一が、再起を賭けて「カフェますの」の店長となり、素晴らしき仲間たちと共に、本や芝居や映画の話をします。文章には書けなかったあんな話、こんな話……。気まぐれで古本を売ったりもします。カフェなので、この日は特別にホットコーヒーも飲めますよ。トークの合間には素敵な音楽の生演奏も! 幻のバンド「啄木」も縮小再結成との噂? 飛び入りゲスト歓迎!!

【トーク出演】枡野浩一(歌人)、藤井良樹(ルポライター/漫画原作者)、石原行雄(サバイバー作家)、
【音楽ゲスト】白浜久とんかつパン、AKI、他

Open18:30/Start19:00
¥1500(飲食代別)

「かんたん短歌blog」のオフ会的な役割もあるので、
皆さんが雑談しやすい構成を考えています。
交流を深めてください。

私は最近もっぱら「歌人」という肩書ですが、
もともと雑多なことを書いてきたライターで、
その中のひとつの分野が
「仕事」になってしまっている、
というのが正直な実感です。

今回のイベントは、
短歌とは関係ない話がしたくて企画しました。
先輩ライターである藤井良樹さん
(プロデュースした本『プリズン・ガール』が
大増刷&ドラマ化!
原作本の帯では枡野浩一も絶賛!!)が
よくご自宅で気軽な飲み会をひらくのですが、
そのときの雰囲気を再現できたら、
と思っています。
なので出演者は全員、
藤井さんちの飲み会で知り合った方たちです。

バンド「啄木」縮小再結成というのは、
石原行雄(ギター担当。サバイバー作家
という肩書は枡野が勝手につけました)
と枡野浩一のユニットです。
ユニット名を新しくつくるかも……考え中。
過去のナンバーは再演しません!
初代「啄木」の皆さんも応援に来てくださいね。



その前日、辰巳泰子さんの歌会があります。

私は観客として駆けつける予定です。
短歌に興味のある皆様は、
またとない機会なのでぜひ参加しましょう。
「歌壇」を垣間見ることのできる、
出入り自由のイベントって、そんなにないです。
辰巳泰子さん以外は全員、
私も面識がないので、
こわごわと楽しみにしています。
翌日のリハーサルがあるため
最後までいられるかどうか微妙なのですが、
できるかぎり目撃したいと思っています。

辰巳泰子さんの歌会は、
早めに席の確保をすることをおすすめします。
「客席に唾がかかる近さ」というのを
コンセプトにした密な会場
(でも明るくて開放感あり)です。

「カフェますの」のほうは、
途中から来たり途中で帰ったりしても
全然平気な雰囲気の、ゆるいイベントです。
どうぞお気軽に。


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2006 04 17 02:35 午前 | 固定リンク

2006.04.13

< 4月の評その1 >

「短歌投稿のお約束」「トラックバックのお約束」をご確認の上、納得したら投稿してください。(「かんたん短歌blog」も3年目……スタート当時とは更新のペースなど「お約束」の細部が変わっております、最近の記事も随時ご参照ください) 初投稿の方は筆名の読み方を書き添えてください。

イラストや写真の投稿も、短歌投稿の「お約束」に準じます。将来、枡野浩一の本に参加してもらえるようなクリエーターとの出会いを心待ちにしております。

今週の課題は「失恋論短歌」。そのほか、自由テーマの短歌も受け付けています。投稿数は、あまり多いと枡野浩一の心がくじけますので、控えめにお願いします。ひとつの作品を推敲して何度も投稿したり、以前の作品を改作して再投稿したりするのは、ご自由に……。短歌およびイラストや写真、そのほか雑談の投稿トラックバックURL: http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/9568740

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イラスト=中野玉子
masuno_060413

 えー、「きれいなジャイアン」に関する報告、伊勢谷小枝子さんほか大勢からいただきました。あのエピソードは一応知っていたのですが、「きれいなジャイアン」という言葉を忘れていた私です。この件に関しては別記事でまた詳しく書くつもり。
 とりあえず失恋論短歌の評、行きます。

 まず、ドラえもん短歌の追加入選は、なしです。
 前回惜しかった丹生谷歩美さんは私の指摘した部分だけに気をとられて、歌全体をよくしようという情熱が足りなかったと思う。「どうせ」は最も安易な選択です。それを選ぶと歌全体がネガティブになってしまう。反省してください。


 
 失恋論短歌も、難しかったですね。
 切通理作さんの本を読むと、ヒントがいっぱい書いてあるのに……。

点滅が思ったよりも長いので 渡れたかも と思い続ける (伊勢谷小枝子)

 たしかに。
 失恋のときって、そんなふうに思いそうです。

四捨五入されるラインの境目で挑めなかったからだと思う (二坂英之)

 二坂さん、作者名を明記してください。
 失恋論短歌、というお題を知らずに読むと、より面白い歌です。

恋ごころを失ったのはきみなのに失恋するのはぼくなのですか (カー・イーブン)

 失恋という言葉をうまいこと微分してくれました。

さっきまで私のなかにあったのにそこからだしてみるときたない (福々屋大福)

 自由テーマなんだろうけど、失恋論短歌として読みました。

ああこれが恋かと胸にしみるのは 始まるまえと終わったあとと (若崎汐里)

 これは切通さんもおっしゃってるように、そのまんま。
 同じ主張を、「そのまんま」に見えないように書くことはできないか、工夫してみて。

失った恋ではなくて 失恋は 失敗作の恋ということ (仁尾智)

 これも失恋という言葉の微分。
 微分……数学苦手だったから、こういうふうにつかっていい言葉なのか、自信なくなってきた。
 「失敗作の恋」という主張は好きになれないけれど、説得力はありました。ただ、「失恋は失敗作の恋なんかじゃない」という主張にしたほうが、明るい歌になります。

浮かれてたあの日の気持ちにタイトルを! 「受け止めるひとのいない胴上げ」 (岡本雅哉)

 タイトルをつけたくなる気持ち、わかる。
 「虐げられし者たちの休息」とかね。

信じてたことが私を刺している 違う私に私はなった(本原隆)

 これは何かを迂回してる感じが、手触りとして印象に残った。

君の恋 僕らの恋になったけど 今日からはもう僕だけの恋 (愛沢いさむ)

 これも失恋を別の言い方できれいに見せています。

しあわせになるためにある失恋だ ふることもない雨の真下で (はせがわゆづ)

 後半は意味不明というか、思わせぶり。
 前半は言い過ぎな気も……。
 でもなんか気になったので残しました。

 宍戸さんの投稿は次回に回します。
 とりいそぎ、きょうは、ここまで。
 また近いうちに更新できるかな……。

2006 04 13 03:46 午後 | 固定リンク | トラックバック

2006.04.08

< 切通理作さんのコメント/宇都宮敦ロングインタビュー >

『失恋論』の著者、切通理作さんが、
皆さんの失恋論短歌に
コメントしてくださっています。
「失恋論」

私の選とコメントは来週には……。
お待ちください。

「かんたん短歌blog」第一回卒業生の
宇都宮敦さんが、
いつのまにかロングインタビューされてます。
モテモテ〜。
「永井祐 ナガイユウのページ」

BBSのところに宇都宮敦本人もいます。
皆で感想を書き込もう!

2006 04 08 02:59 午後 | 固定リンク

2006.04.04

< 【日記帳から】ヤスケンその後 >

某月某日

「村上春樹 ヤスケン」
でグーグル検索すると、
「かんたん短歌blog」が
一番上に出るようになってしまった。

今、
彼らのことを世界一考えているのは自分かも、
という、
むなしい気持ちに……。

いろいろ探してて、
面白いと思った意見を列挙。

「小説のような日々」
今回、私への返信的な記事も書いてくださいましたが、
最初の記事の中の、
ヤスケンの小説の感想を
正直に言わない村上春樹うんぬん、
に関しては私も同感。
「友達だから正直に感想を言わない」派
(=村上春樹)と、
「友達だから正直に感想を言う」派
(=ヤスケン)の
闘いなのかもしれませんね。
もちろん言い方を工夫する配慮は必要だと思うが、
私は相手に愛情があればあるほど
正直に言うほうだし、
正直に言ってくれない人は
信頼できないと感じてしまう。
(期間限定で復活している「村上朝日堂」の中で、
ファンから自作短歌の感想を求められて、
《どちらの短歌も僕はとても好きです。あなたには温かい才能があると思います。がんばって下さい。》
と答える村上春樹の「温かさ」!!!)
この一点だけでヤスケンが村上春樹を
憎んだのだとしても私は納得します。

「アルカリブログ」
生前のヤスケンを知る人の苦しい思い。
私の知り合いも、
ヤスケンと頻繁に仕事していたそうですが、
「『あいつは俺が育てた』という物言いは
しない人だったと思います」
とのこと。

「琥珀色の戯言」
村上春樹ファンによる、
複雑な思いの表明。
「村上春樹が怖い」。
けれどたぶん、
村上春樹の作品に「魅力」があるとすれば、
その「怖さ」と、
背中合わせに存在するものなのでしょう。

「asyuu@forest」
村上春樹ファンによる、
「文藝春秋」エッセイと、ある短編小説の比較。
人は結局、
自分の中にあるものしか批判できないんですよね……。

「BUNGAKU@モダン日本」
村上春樹ファンによる、
見事なヤスケン擁護。
ヤスケン本人と面識がなくても、
ここまで考えられるとは!

調べてみると、
ヤスケンは村上春樹の作品をけなすようになった後も、
気にいった作品は絶賛していたのだ。
私は本を通じてしかヤスケンを知らないけれど、
思いのほか、憎めない人だったんじゃないか。


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2006 04 04 09:35 午後 | 固定リンク

2006.04.03

< 【日記帳から】村上春樹その後 >

※ちっとも「日記」ではないが……。


某月某日

以前、
ここに載せた日記への反響を、
つい先ほど見つけました。

「小説のような日々」

とても興味深い文章だったので、
お返事してみますね。

あなたの文章は、
こちらにトラックバックされていたため
発見できたのですが、
こういった文章もぜひ、
「かんたん短歌blog」に
トラックバックしていただけたら、
と思います。
私は「かんたん短歌blog」という場で、
投稿者のかただけではなく、
読者のかたとやりとりすることも
望んでいますので。

枡野浩一からのリアクションを
期待しない場合は、
批評という形で発表されても
無論OKですが、
そうでない場合は
「質問」という形式を
活用していただけると、
リアクションがスムーズになると思います。

(もちろん、
すべてのご質問に
お答えするわけではありません。
ネットを見ていて不思議なのは、
「質問には必ず答えないといけない!」
と信じている人が多いことです。
人はどんな質問をするのも自由だし、
それに答えるのも答えないのも自由です。
とりわけ、
すでに著作で表明していることなどは、
スルーしますのでご了承ください)

たとえば、
「枡野浩一さんは村上春樹さんに
個人的な恨みでもあるのですか?
そんなふうに読めてしまうほど
言葉が激しい気がしたもので……」
というご質問があれば、
私はお答えすることができます。

「そう、個人的怨恨があるんですよ」
と。

私はかつて、
ある作家の文庫解説を依頼されて
持てる力を振り絞って執筆しましたが、
その中に村上春樹批判が混じっていたため、
それを理由に
原稿が没になったことがあります。

スケジュール的な事情や、
もうちょっと複雑な背景があったため
(没になった当初、
私には別の理由が告げられていた)
書き直しをすることができず、
その文庫は解説なしで刊行されました。
今思いだしても悲しい気持ちになる出来事です。
(作家のかたにご迷惑がかかるといけないので
これ以上の詳細は伏せますが、
そのような事実があったという証拠は
保管してあります)

村上春樹本人には責任がなく、
編集部の「自主規制」だったのだとは思います。
ただ、
そのような自主規制を生んでしまうほどの
権威である村上春樹が、
くだんの「文藝春秋」エッセイの中で、
自分は文壇(「業界」)には結びついていない、
と表明しているのは、
ある意味「天才的」であると私は感じました。
村上春樹自体がもはや文壇(「業界」)であると、
コラムニストの中森明夫なら
言うかもしれません。

私が村上春樹を批判したのは
今回が最初ではありません。
拙著『日本ゴロン』(毎日新聞社)では、
村上春樹の回文本を批判しました。
日本ゴロン

ただ、
村上春樹に対して嫉妬があるというご指摘は、
「自分より圧倒的に売れている
物書きはうらやましい」
という文脈においては、
ふつうに当たっていると思いますし、
それは昔から自覚しています。
かつて、
このようなインタビューでも
村上春樹を語りました。
ご参照ください。

村上春樹は、
ヤスケンによる批判の多くが、
作家になりたいのになれない編集者としての
「嫉妬」が原因ではないのか、
と推測しています。
それがたとえ図星で、
ヤスケンの原動力が「嫉妬」だったとしても、
ヤスケンの批判は
当たっているものは当たっているし、
外れているものは外れているのです。

ヤスケンに限らず、
文学というジャンルに限らず、
実作者になるかわりに批評家になった人は
多いような気がいたします。
だからといって、
そういう批評家の「批評」に意味がないとは
私には思えません。
その点、村上春樹の主張は素朴すぎて、
ちょっと驚きを禁じ得ませんでした。
あれがカマトトでないのなら、
ほんとうに「いい人」なのかもしれません。

ヤスケンの批判のいくつかは妥当だったと、
村上春樹自身も書いています。
しかし
あのような文脈で「生原稿流失」を告白すれば、
かなりの数の読者は村上春樹に味方するし、
ヤスケンによる村上春樹批判の説得力は
半減するでしょう。

それを狙って書かれたエッセイなのではないか、
ずっと書くタイミングをうかがっていて、
あえて今の時期に発表したのではないか……
というのは私の「邪推」に過ぎません。
ですからその邪推によって、
私の邪な気持ちが読者に届いたのは正しい。
私は自らの邪な気持ちを伝えてでも、
村上春樹のエッセイに疑念を呈したかったのです。

あのあと出た「週刊SPA!」4/4号で、
評論家の坪内祐三と福田和也が、
こんな対話をしています。
《坪内 そう。だからさ、『文藝春秋』の春樹さんの原稿には、「売られていると気づいたのはつい最近」のように書いてあるけど、全然そうじゃないよ。知っていて、怒りを溜めていたんだよ。それが怖いよね……村上春樹はやっぱりダーク。
福田 ダークだよね。》

「en-taxi」創刊号(3年前の発行)ですでに、
村上春樹生原稿の流出を
「スクープ」していた坪内氏のところに、
村上春樹に極めて近い編集者の人たちから
問い合わせが来ていたそうです。

「ダーク」という言葉は、
じつにセンスよいチョイスで感服しました。
私の書いた
「あとだしジャンケン」「卑怯者」
という言葉は、
チョイスが甘かったですね。反省します。

《僕の解釈では、生原稿の所有権は基本的に作家にある。》
と村上春樹は書きました。
しかしそれはあくまでも村上春樹の解釈。
古本業界ではそうでない解釈があると、
先日の朝日新聞にも記事が出ていました。
だからこそ生きている作家の
生原稿が持ち込まれたとき、
それを買い取るという行為を
古書店の人々は自分にゆるし、
実行しているのです。

かような解釈の幅がある問題を語るにしては、
村上春樹のエッセイは必要以上に感情的で、
上から見下ろす態度だったと私は感じました。
そのことが私の日記の文章(の温度)にも
少なからず影響を与えていると思います。
私は思いきり下から見上げる態度で
書いたつもりですが、
そう見えなかったとしたら
私の力量不足でした。おわびします。

あなたの、
《村上の作品世界に登場する者たちは、寡黙で忍耐強く、そして全てが終わったあとにようやく、感情を表に出すようなタイプの者が多い。》
とのご意見には、深く頷きます。
そして私は、
そういうタイプの人間が
そもそも苦手……嫌いなのです。
(制作中の金紙&銀紙の単行本でも、
まったく同じ文脈で村上春樹批判をしています。
なお、「男らしさ」という価値観は、
私自身がよしとする価値観ではありません。
あくまでも村上春樹が持ち出したモノサシで、
村上春樹自身の言動をはかっただけです。念のため)

人は皆、予断をもって文章に接し、
自分の予断に見合った情報しか
受け取ろうとしません。
Aさんの味方はAさんの見方で
Aさんの味方になり、
Bさんの味方はBさんの見方で
Bさんの味方になります。
それを超えられる人は稀有な存在です。

村上春樹と枡野浩一の両方に興味を持っている、
という読者は、
村上春樹と穂村弘の両方に興味を持っている、
という読者よりは、
数が少ないと私は想像しています。
それゆえ、
あなたのご指摘は貴重で興味深いものでした。
ありがとうございます。

私はこれまで、
荒川洋治や穂村弘のことも
強い言葉で批判してきましたが、
私は彼らの大ファンであり、
それゆえの愛憎を表明することは
自分の役割と考えてきました。

しかし村上春樹に関しては、
愛はほとんどなく、
憎ばかり。
世界がそんなにも彼を愛するなら、
せめて自分だけでも彼に冷たくしなくては、
そんなナンシー関的バランス感覚が
どうしても働いてしまいます。

そんなことで批判されたら、
たまらないと村上春樹は思うかもしれません。
しかし人は何の理由もなく
愛されたり憎まれたりします。
村上春樹には死ぬまで
わからないかもしれませんね。
ポツドールの芝居の面白さも
きっと村上春樹には一生わからない。
枡野浩一の短歌集が売れている、
それだけで枡野浩一を憎む人がいるのが世の中です。
私は彼らからの嫉妬を浴びていることを、
きちんと自覚して生きていきたいと思います。
(もちろん「嫉妬」にまみれた「批判」であっても、
それが真に痛いときには痛みを味わうつもりです)

そういうのって、
知らないふりをしたほうが「お上品」なのですが、
そうしないことが私の書き手としての
役割だと信じたい。

批評とは価値観の表明であり、
私が「お上品」と批判した同じ性質を、
ある人が「上品」と賞賛することもありえます。
ある人に「忍耐強い」と評価される性質が、
別の人に「ダーク」と評価されることがあるように。

私の日記の村上春樹批判は、
読み物としての面白さをめざそうとして
空回りしている部分はあるかもしれませんが、
すべて私の本心だし、
「嫉妬」「怨恨」がたとえ背後にあったとしても、
チャラになるようなことを
書いたつもりはありません。

私ごときがどんなに言葉を尽くそうと、
カフカ賞受賞作家のほうが広く支持されるのは
自明のことです。
けれど今後もし村上春樹が
ノーベル賞を受賞したりしても、
私は前々から思っていた、
「外国語に翻訳されて世界で通用する文学は
ほんとうに凄い文学なのか?」
(翻訳に反映されない部分こそが重要なのでは?)
という疑問をまた、
強く強く胸に抱くことになるでしょう。

最後に、某所に書いた
「村上春樹の嫌いなところ」、
ここにも転載しておきます。
(重複を避けるため一部省略箇所あり)

《小説はもちろん、
翻訳も嫌いです。
けれど小説はけっこう読んでしまっています。
私の世代の文学青年は学生当時、
村上春樹を読むのが当然とされていて、
読まないといけないと思って
我慢して読んでいたのです。
ギャルゲーみたいに、
都合よく美女たちが自分に惚れる話だから、
ある種の読者は
うっとりできるのかもしれないけど、
春の熊みたいに不愉快でした。
「世界の終りと…」は
読み終えるのに一年かかりました。

村上春樹原作の、
宮沢りえ主演の映画を観ました。
そのあと原作も読みました。
ちょっといいかもと思ったシーンは
原作にはないところでした。
いやだと思ったシーンは、
原作どおりでした。

大手出版社からしか本を出さないところも嫌い。
(ヤスケンが立ち上げた小さな版元から
本を出さなかったのが村上春樹らしい。
吉本ばななは出しました)

猫を飼うとき雑種の子猫を拾ったりせず、
血統書つきをペットショップで買ってきそう、
そんな村上春樹が大嫌いです。 》

村上春樹を語っているくだりがある
金紙&銀紙の本は、
リトルモアから年内には出ると思います。
(対談は昨年行ったもの。念のため)
ご参照いただけると幸いです。

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2006 04 03 08:00 午前 | 固定リンク