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2006.04.03
< 【日記帳から】村上春樹その後 >
※ちっとも「日記」ではないが……。
某月某日
以前、
ここに載せた日記への反響を、
つい先ほど見つけました。
とても興味深い文章だったので、
お返事してみますね。
あなたの文章は、
こちらにトラックバックされていたため
発見できたのですが、
こういった文章もぜひ、
「かんたん短歌blog」に
トラックバックしていただけたら、
と思います。
私は「かんたん短歌blog」という場で、
投稿者のかただけではなく、
読者のかたとやりとりすることも
望んでいますので。
枡野浩一からのリアクションを
期待しない場合は、
批評という形で発表されても
無論OKですが、
そうでない場合は
「質問」という形式を
活用していただけると、
リアクションがスムーズになると思います。
(もちろん、
すべてのご質問に
お答えするわけではありません。
ネットを見ていて不思議なのは、
「質問には必ず答えないといけない!」
と信じている人が多いことです。
人はどんな質問をするのも自由だし、
それに答えるのも答えないのも自由です。
とりわけ、
すでに著作で表明していることなどは、
スルーしますのでご了承ください)
たとえば、
「枡野浩一さんは村上春樹さんに
個人的な恨みでもあるのですか?
そんなふうに読めてしまうほど
言葉が激しい気がしたもので……」
というご質問があれば、
私はお答えすることができます。
「そう、個人的怨恨があるんですよ」
と。
*
私はかつて、
ある作家の文庫解説を依頼されて
持てる力を振り絞って執筆しましたが、
その中に村上春樹批判が混じっていたため、
それを理由に
原稿が没になったことがあります。
スケジュール的な事情や、
もうちょっと複雑な背景があったため
(没になった当初、
私には別の理由が告げられていた)
書き直しをすることができず、
その文庫は解説なしで刊行されました。
今思いだしても悲しい気持ちになる出来事です。
(作家のかたにご迷惑がかかるといけないので
これ以上の詳細は伏せますが、
そのような事実があったという証拠は
保管してあります)
村上春樹本人には責任がなく、
編集部の「自主規制」だったのだとは思います。
ただ、
そのような自主規制を生んでしまうほどの
権威である村上春樹が、
くだんの「文藝春秋」エッセイの中で、
自分は文壇(「業界」)には結びついていない、
と表明しているのは、
ある意味「天才的」であると私は感じました。
村上春樹自体がもはや文壇(「業界」)であると、
コラムニストの中森明夫なら
言うかもしれません。
*
私が村上春樹を批判したのは
今回が最初ではありません。
拙著『日本ゴロン』(毎日新聞社)では、
村上春樹の回文本を批判しました。
ただ、
村上春樹に対して嫉妬があるというご指摘は、
「自分より圧倒的に売れている
物書きはうらやましい」
という文脈においては、
ふつうに当たっていると思いますし、
それは昔から自覚しています。
かつて、
このようなインタビューでも
村上春樹を語りました。
ご参照ください。
*
村上春樹は、
ヤスケンによる批判の多くが、
作家になりたいのになれない編集者としての
「嫉妬」が原因ではないのか、
と推測しています。
それがたとえ図星で、
ヤスケンの原動力が「嫉妬」だったとしても、
ヤスケンの批判は
当たっているものは当たっているし、
外れているものは外れているのです。
ヤスケンに限らず、
文学というジャンルに限らず、
実作者になるかわりに批評家になった人は
多いような気がいたします。
だからといって、
そういう批評家の「批評」に意味がないとは
私には思えません。
その点、村上春樹の主張は素朴すぎて、
ちょっと驚きを禁じ得ませんでした。
あれがカマトトでないのなら、
ほんとうに「いい人」なのかもしれません。
ヤスケンの批判のいくつかは妥当だったと、
村上春樹自身も書いています。
しかし
あのような文脈で「生原稿流失」を告白すれば、
かなりの数の読者は村上春樹に味方するし、
ヤスケンによる村上春樹批判の説得力は
半減するでしょう。
それを狙って書かれたエッセイなのではないか、
ずっと書くタイミングをうかがっていて、
あえて今の時期に発表したのではないか……
というのは私の「邪推」に過ぎません。
ですからその邪推によって、
私の邪な気持ちが読者に届いたのは正しい。
私は自らの邪な気持ちを伝えてでも、
村上春樹のエッセイに疑念を呈したかったのです。
*
あのあと出た「週刊SPA!」4/4号で、
評論家の坪内祐三と福田和也が、
こんな対話をしています。
《坪内 そう。だからさ、『文藝春秋』の春樹さんの原稿には、「売られていると気づいたのはつい最近」のように書いてあるけど、全然そうじゃないよ。知っていて、怒りを溜めていたんだよ。それが怖いよね……村上春樹はやっぱりダーク。
福田 ダークだよね。》
「en-taxi」創刊号(3年前の発行)ですでに、
村上春樹生原稿の流出を
「スクープ」していた坪内氏のところに、
村上春樹に極めて近い編集者の人たちから
問い合わせが来ていたそうです。
「ダーク」という言葉は、
じつにセンスよいチョイスで感服しました。
私の書いた
「あとだしジャンケン」「卑怯者」
という言葉は、
チョイスが甘かったですね。反省します。
*
《僕の解釈では、生原稿の所有権は基本的に作家にある。》
と村上春樹は書きました。
しかしそれはあくまでも村上春樹の解釈。
古本業界ではそうでない解釈があると、
先日の朝日新聞にも記事が出ていました。
だからこそ生きている作家の
生原稿が持ち込まれたとき、
それを買い取るという行為を
古書店の人々は自分にゆるし、
実行しているのです。
かような解釈の幅がある問題を語るにしては、
村上春樹のエッセイは必要以上に感情的で、
上から見下ろす態度だったと私は感じました。
そのことが私の日記の文章(の温度)にも
少なからず影響を与えていると思います。
私は思いきり下から見上げる態度で
書いたつもりですが、
そう見えなかったとしたら
私の力量不足でした。おわびします。
*
あなたの、
《村上の作品世界に登場する者たちは、寡黙で忍耐強く、そして全てが終わったあとにようやく、感情を表に出すようなタイプの者が多い。》
とのご意見には、深く頷きます。
そして私は、
そういうタイプの人間が
そもそも苦手……嫌いなのです。
(制作中の金紙&銀紙の単行本でも、
まったく同じ文脈で村上春樹批判をしています。
なお、「男らしさ」という価値観は、
私自身がよしとする価値観ではありません。
あくまでも村上春樹が持ち出したモノサシで、
村上春樹自身の言動をはかっただけです。念のため)
*
人は皆、予断をもって文章に接し、
自分の予断に見合った情報しか
受け取ろうとしません。
Aさんの味方はAさんの見方で
Aさんの味方になり、
Bさんの味方はBさんの見方で
Bさんの味方になります。
それを超えられる人は稀有な存在です。
村上春樹と枡野浩一の両方に興味を持っている、
という読者は、
村上春樹と穂村弘の両方に興味を持っている、
という読者よりは、
数が少ないと私は想像しています。
それゆえ、
あなたのご指摘は貴重で興味深いものでした。
ありがとうございます。
*
私はこれまで、
荒川洋治や穂村弘のことも
強い言葉で批判してきましたが、
私は彼らの大ファンであり、
それゆえの愛憎を表明することは
自分の役割と考えてきました。
しかし村上春樹に関しては、
愛はほとんどなく、
憎ばかり。
世界がそんなにも彼を愛するなら、
せめて自分だけでも彼に冷たくしなくては、
そんなナンシー関的バランス感覚が
どうしても働いてしまいます。
そんなことで批判されたら、
たまらないと村上春樹は思うかもしれません。
しかし人は何の理由もなく
愛されたり憎まれたりします。
村上春樹には死ぬまで
わからないかもしれませんね。
ポツドールの芝居の面白さも
きっと村上春樹には一生わからない。
枡野浩一の短歌集が売れている、
それだけで枡野浩一を憎む人がいるのが世の中です。
私は彼らからの嫉妬を浴びていることを、
きちんと自覚して生きていきたいと思います。
(もちろん「嫉妬」にまみれた「批判」であっても、
それが真に痛いときには痛みを味わうつもりです)
そういうのって、
知らないふりをしたほうが「お上品」なのですが、
そうしないことが私の書き手としての
役割だと信じたい。
批評とは価値観の表明であり、
私が「お上品」と批判した同じ性質を、
ある人が「上品」と賞賛することもありえます。
ある人に「忍耐強い」と評価される性質が、
別の人に「ダーク」と評価されることがあるように。
私の日記の村上春樹批判は、
読み物としての面白さをめざそうとして
空回りしている部分はあるかもしれませんが、
すべて私の本心だし、
「嫉妬」「怨恨」がたとえ背後にあったとしても、
チャラになるようなことを
書いたつもりはありません。
私ごときがどんなに言葉を尽くそうと、
カフカ賞受賞作家のほうが広く支持されるのは
自明のことです。
けれど今後もし村上春樹が
ノーベル賞を受賞したりしても、
私は前々から思っていた、
「外国語に翻訳されて世界で通用する文学は
ほんとうに凄い文学なのか?」
(翻訳に反映されない部分こそが重要なのでは?)
という疑問をまた、
強く強く胸に抱くことになるでしょう。
*
最後に、某所に書いた
「村上春樹の嫌いなところ」、
ここにも転載しておきます。
(重複を避けるため一部省略箇所あり)
《小説はもちろん、
翻訳も嫌いです。
けれど小説はけっこう読んでしまっています。
私の世代の文学青年は学生当時、
村上春樹を読むのが当然とされていて、
読まないといけないと思って
我慢して読んでいたのです。
ギャルゲーみたいに、
都合よく美女たちが自分に惚れる話だから、
ある種の読者は
うっとりできるのかもしれないけど、
春の熊みたいに不愉快でした。
「世界の終りと…」は
読み終えるのに一年かかりました。
村上春樹原作の、
宮沢りえ主演の映画を観ました。
そのあと原作も読みました。
ちょっといいかもと思ったシーンは
原作にはないところでした。
いやだと思ったシーンは、
原作どおりでした。
大手出版社からしか本を出さないところも嫌い。
(ヤスケンが立ち上げた小さな版元から
本を出さなかったのが村上春樹らしい。
吉本ばななは出しました)
猫を飼うとき雑種の子猫を拾ったりせず、
血統書つきをペットショップで買ってきそう、
そんな村上春樹が大嫌いです。 》
*
村上春樹を語っているくだりがある
金紙&銀紙の本は、
リトルモアから年内には出ると思います。
(対談は昨年行ったもの。念のため)
ご参照いただけると幸いです。
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2006 04 03 08:00 午前 | 固定リンク