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2006.11.02

< 【特別寄稿】『結婚失格』書評(文=藤井良樹) >

結婚失格

 忙しい忙しい原稿書かなきゃ書かなきゃと思いながら、午前11時すぎに新宿に買い物に出掛け、スペイン製の革のコートを買ってしまった。
 早くんと甲斐さんが立ち上げた新しい会社の事務所開きが今日だったので、顔を出そうかなと思いつつ、結局足を運べなかった。TSUTAYAでザ・クロマニヨンズの新譜を視聴するも買わず、自宅に戻ったのが夕方前。前日から寝てなかったので、矢沢永吉のデビューアルバム『アイラブユー、OK』をBGMにして寝てしまう。そのまま寝続け、夜中に携帯電話が鳴ったけれど無視してまた寝た。1時間後くらいにようやく起きて、寝ぼけ眼で携帯画面を見たら、3通のメールと不在着信。
 《一瞬だけ本を届けにお邪魔してもよいですか。電車で帰ります。枡野浩一》
というメ−ルが0:05と0:26に送られ、0:43に、
 《ドアに本置いておきました。また今度ゆっくり。枡野浩一》
というメールが届いていた。ドアを開けると、ドアノブに青いビニール袋がぶらさがっていて、その中に淡い緑を基調とした表紙の『結婚失格』が入っていた。


 『結婚失格』(講談社)は枡野浩一の初の小説ということになるのだろか。「小説現代」に連載中は「書評小説」という形式だったという。
 私は枡野浩一に直接、「そんなのフツーの小説を書かせてもらえばいいのに」と余計な注進をしたことがあって、そうしたら彼は「いやいや違うんですよ藤井さん。書評連載の依頼があったのをボクの方から『書評小説にさせてください』ってお願いしたんですよ」と言った。や、逆かもしれない。小説の依頼があったのを書評小説にしてもらったのだったか。まぁどっちでもいい。
 とにかく、「小説現代」で連載をやるのに、「短歌連載」でも「小説連載」でも「書評連載」でもなく、「書評小説連載」を始めてしまうことが枡野浩一という人間をよく表している。その上、その内容ときたら、一見小説や書評を装いつつも実はほぼ自分自身の離婚ドキュメントなわけで、もうあまりに本性を表しすぎだ。

 この本にエッセイを特別寄稿している歌人の穂村弘氏は枡野浩一について、

 《御飯を前にして「いただきます」と叫ぶ子供をみて、びくっとする大人の気分だ》
 《御飯を前に大人がひとりで「いただきます」と真顔で云い続けることの「異様さ」が彼には理解できない》

と記しているが、さすがである。歌人という人種はかなりあなどれない。

 でも敢えて、この秀逸な穂村弘氏の枡野観に蛇足を付け加えさせてもらうならば、その「いただきます」と枡野が叫ぶ御飯とは、カフェ飯なのである。ひとり孤独に、こじゃれたカフェカウンターで喰う「カフェ飯」なのだ。決して、「家族団欒の晩御飯」ではない。
 そう考えると枡野の「いただきます」は「叶えられない祈り」であるようにも思える。毎日二食は食すというカフェ飯に向かって「いただきます」と枡野が絶叫するとき、枡野の耳には「いただきます」と復唱する妻子の幻聴が聞こえているのかもしれない。

 トルーマン・カポーティは、「叶わぬ祈りよりも叶えられた祈りの方が、より多くの涙をそそる」として『叶えられた祈り』という題名の、暴露的なスキャンダラスなノンフィクション・ノベルを書こうとしたが、書き切れずに死んでしまった。

 枡野浩一にとって、『結婚失格』は「叶わぬ祈り」なのか?
 それとも、より涙を流さなければならない、「叶えられた祈り」だったのか?

 ・・・・・実はまだ、私は『結婚失格』小説部分を読んでいない。だから、その答えはわからない。だけど読み始める前に、こう(心の中で)叫ぼうと思っている。

 「『結婚失格』いただきます!!」、と。

2006 11 02 10:40 午前 | 固定リンク