« 短歌の類似 | トップページ | NHKのやらせについて »

2006.12.21

< 「こんなもの短歌じゃない」 >

「こんなもの短歌じゃない」
とか、
言ったら負けだと私は思っている。

枡野浩一自身の作品が昔から、
そういった言葉で
排除されてきたからだ。

ライン引きをして、
安心してはいけない。
「これも短歌」
「あれも短歌」
という恐ろしい現実から、
目をそらしてはいけない。

たとえば「R25」の連載が、
本にまとまりました。

鈴木おさむの胸キュン短歌
鈴木 おさむ
NMNL
売り上げランキング: 122872
おすすめ度の平均: 5.0
5 あったよね〜そんな胸キュン。


売れっ子放送作家の
鈴木おさむが今、
短歌に目をつけたということの面白さ。
「プロ」の徹底した態度を感じる。
「歌人」には、できない仕事だ。

が、
ここで取り上げられている
短歌の多くは、
私には必要がない。
私が追求してきた短歌とは、
まるでちがう何かだ。
けれど、
これも短歌だと思う。

私にできることは、
「枡野浩一が
いいと思うのは、
こういう短歌」
と、
価値観を表明していくことだけだ。

むろん、
「こういう短歌は
よくないと思う」
という価値観も
表明していいと思う。

価値観の表明、
それはふつう、
「批評」
と呼ばれる。

批評するときは、
面白い言葉で、
面白く価値観を表明しないと、
だめだ。

そのためには、
「敵」もよく知らないといけない。
だから私は、
「胸キュン短歌」の本を
発売日に購入した。

「いい部屋みつかっ短歌」
http://www.chintai.net/promo/2006/tanka/

コンテストの審査をやってみて、
私は自分が思っているより、
ずいぶん「短歌」側の人間なのだと、
改めて思い知らされた。

知っていたつもりだったけど、
改めて、だ。

歌をつくる人が
「当たり前の常識」と
感じてしまっていることを、
共有していない人々で
世界は出来ている。

そのため、
コンテストの審査は、
関係者の皆様がとても協力的だった
にもかかわらず、
毎週毎週ものすごく大変だった。

私が「歌人として」気にしている
ちょっとしたことが、
まったく共有されないのです。

そのひとつひとつをここでは
書かないけれども、
たとえば穂村弘と枡野浩一を
比較して枡野浩一のほうが
「わかりやすい」とか
短歌の世界では言われているが、
いやいや枡野浩一の短歌だって、
非常にわかりにくいと
言われてしまう「世界」がある。

「いい部屋みつかっ短歌」の
最終選考では、
私が審査員長だったのだが、
とりわけ佳作以下は、
私以外の関係者の意見が
色濃く反映された選考結果になっている。

詩歌の世界で感心されるような
短歌らしい短歌は
残っていないかもしれない。

「短歌らしい短歌」と、
無防備に書いてしまうのが
怖くなるほど、
短歌はほんとうに世間一般には
「わからないもの」、
もっと言うと、
存在しないもの……として、
扱われているのだ、
と「再」認識したかぎりです。

私が何を言おうとしているのか、
これ以上説明しなくてもわかるのは、
「歌壇」と「歌壇以外」の
両方を見つめざるをえない、
ごく少数の人かもしれない。

これ以上のことは今後、
私がつくっていく本とかで
表明していくしかなくて、
それが私なりの「批評」に
なっていくはずだ。

少し前の角川書店「短歌」誌で、
穂村弘さんが、
「自分のエッセイを面白いと言ってくれる
編集者ですら、
短歌はわからないですと言う」
という意味のことを
おっしゃっていた。

逆に、
私が出した『ショートソング』(集英社文庫)は、
「ストーリーはともかく、
出てくる短歌が面白い」
とか評されることが多い。

(私の本とは思えないほど売れています。
ああ、この人は鋭いなあ……。
http://d.hatena.ne.jp/oolochi/20061214/p2

ショートソング


穂村弘も枡野浩一も、
それぞれの場所で、
それぞれの闘い方をしている。

それは
「こんなもの短歌じゃない」
という一言で、
済ませてしまわないための
闘いなんじゃないだろうか。

けっして、
穂村弘VS枡野浩一
で、
闘っているわけではなく。

2006 12 21 11:42 午後 | 固定リンク