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2009.06.15
< 笹井さん >
亡くなった笹井さんのブログ、
ご家族のかたが更新されている。
「かばん」六月号、
穂村弘の「笹井さんのこと」は
物凄い説得力。
『短歌の友人』が文庫化されるときは
収録されますように。
以下は、
「すばる」2009年5月号に私が書いた一文。
「またね」 枡野浩一
人気漫画家の小手川ゆあさんは、原作つきで漫画を描くのは初めてだし、人が一人も死なない漫画を描くのも初めてだと語った。
拙著『ショートソング』(集英社文庫)を原作として自ら選び、漫画化してくださったときのことだ。(連載誌「スーパージャンプ」、単行本全二巻は集英社刊)
私はそれを聞いて、ほんのちょっと運命的なものを感じた。短歌を詠む若者たちの群像劇である『ショートソング』だが、ほんとうは登場人物の一人が亡くなっで終わる予定だったからだ。
そのようにしたほうが物語が盛り上がることはわかっていた。亡くなった人物を囲む葬式でも描写すれば、多くの登場人物が一同に会することになるわけで、色々なことが書きやすくなると思った。
けれど物語が進むにつれて、「だれも死なない話にしたい」という思いが強くなり、急カーブを切るような気持ちで、葬式シーンのない青春小説に仕上げた。
いつのまにか私の中で、登場人物たちがそれぞれの人生を進み、彼らを勝手に死なすことはできなくなっていたのだ。
小説の舞台となった吉祥寺は、移り変わりの激しい街だ。実在するカフェを実名でたくさん登場させたのだが、本が刊行されてまだ三年も経たないのに、すでになくなった店が五軒くらいある。執筆中から「街から好きな店が失われていく様子」は、積極的に書こうと決めていた。けれど最も好きで作品中にはあえて名前を出さないでおいた行きつけのカフェが、本の刊行を待たずに閉店したときには、人が亡くなったかのように落ち込んだ。
*
風という名前をつけてあげました それから彼を見ないのですが
——笹井宏之『ひとさらい』(ネット販売のみ)より
*
まさか『ショートソング』の歌人の一人が、こんなに早く亡くなってしまうことがあるなんて、想像もしていなかった。
小説中の歌人たちの詠む結構な数の短歌は、実在する歌人たちの作品を借りている。二人の主人公は共に作者の分身でもあるから、それぞれに枡野浩一の短歌をあてがった。しかし自作短歌だけでは「天才」という設定の彼らには物足りないと感じたので、ほかの歌人の作品も借りることにした。つまり、作中の一人の歌人が詠んだことになっている短歌は、実在する複数の歌人が詠んだものである。
そのことは批判もされた。もちろん短歌の作者全員には使用許可をとっているので、当事者でない読者からの批判だったが、「複数の歌人の魂を混ぜないでほしかった」と言う歌人もいた。その気持ちはじつによくわかるのだけれど、たとえば子供時代と大人時代を複数の俳優が演じることがあるように、また、複数の脚本家がひとつのドラマを書きあげることがあるように、私の考えた方法はゆるされてもいいのではないかと思っている。
*
それはもう「またね」も聞こえないくらい雨降ってます ドア閉まります
——笹井宏之(『ショートソング』より)
*
ただ、どうしても「混ぜる」ことのできない短歌があった。
それが、笹井宏之さんの短歌だった。
笹伊藤冬井という、小説での出番は少ないのにとても人気のある歌人がいて、その歌人が詠んだことになっている短歌は、ひとつ残らず笹井さんの作品である。一人の登場人物の作品をすべて、一人の実在の歌人の作品だけで「まかなった」のは、全編を通じて、これだけだった。
春分の日に「笹井宏之さんを偲ぶ会 」が開催されたが、私は参加できなかった。先約があったのだけれど、先約がなくても参加できなかったかもしれないと思う。
これから初めて生身の笹伊藤冬井……いや、笹井宏之に会うつもりだったのに。
とてもまだ偲べないよ、笹井さん……。
*
「またね」「またね」聞こえないけど何回も雨に向かって手を振る「またね」
——枡野浩一
2009 06 15 05:07 午前 | 固定リンク
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