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2010.09.23

< 南野耕平さんの本の感想 >

ほんの一言ですが。
http://twitter.com/toiimasunomo/status/25295028828

2010 09 23 04:21 午後 | 固定リンク | トラックバック

2010.09.14

< 杉田協士監督の『ショートソング』レビュー >

少し前のことになってしまったのですが、
土佐有明WRITINGワークショップ「読み、書き、届ける技術」
http://d.hatena.ne.jp/ariaketosa/20190630/1210196169
に、ゲスト講師として参加しました。

拙著『ショートソング』(集英社文庫)のレビューを、
受講生の方々に書いていただいたのですけれども、
中に、
ひときわ目をひく原稿が二本ありました。

じつは、その二本ともが、同じ書き手によるものでした。
http://masuno.de/blog/2010/07/27/post-200.php

なんだか内輪めいてしまいますが、
書き手がだれかわかっていて、
褒めたわけではありません。

ネット上の『ショートソング』レビューを私は、
軽く1000本以上は読んできたと思います。
http://mixi.jp/view_item.pl?id=647145

そうすると、「典型」というものがわかります。
みんな、言うことが似ているんですよね……。
おのおのが自信満々に「批評」してるけど、
まんまと「典型」にハマってしまっている。

それはまあ、
半分は作品の出来のせいかもしれないと、
謙虚に受けとめておりますが。

しかし杉田監督のレビューは、
今までに読んだことのないタイプのものでした。

二本のうち、とくに感銘を受けた一本を、
土佐さんと杉田監督のご了承を得て、
以下に紹介させていただきます。
あらすじ紹介の自然さ、
「見立て」の巧みさを、
味わってみてください。

本日、杉田協士監督のページが出来たようです。
http://kyoshi.petit.cc/

ショートソング

枡野浩一『ショートソング』書評
想定媒体:朝日中学生ウィークリー
文字数:1600字


 曖昧なことを曖昧にしたまま生きていけたらと近頃思います。けれど、そう思っているそばからこのような声が聞こえてきます。「だめよ、こんな服じゃ」と。
 歌人・枡野浩一による初の長編小説『ショートソング』は、曖昧になんかさせてくれない言語道断な台詞から始まるのです。言われているのはこの小説の主人公、日本人とカナダ人の両親を持つ、イタリア育ちの、美形の大学生である国友くん。「だめよ」と告げるのは、国友くんがひそかに恋心を抱いている舞子先輩。
 国友くんは、この長い物語の始まりから駄目出しをされ、以降、ずっと駄目を出されつづけます。白人顔なのに日本語しか話せなくて、素材(見た目)はいいのに服のセンスがダサくて、童貞で…。国友くんはきっと、ラインのあちら側にいるのです。そのラインとはおそらく、普通というラインです。そんなに見た目がいいのなら、普通、童貞は捨てているはずでしょう、といった具合の普通です。国友くんは舞子先輩から、どうしていつもダサい服を選ぶの? 普通に着ればいいのにと言われて、「ふつうって……。それが一番難しいんすよ」と返せるくらいには置かれた状況を自覚しています。自覚しているから、実はこの物語のなかで、国友くんに最も駄目を出しているのは国友くん自身なのです。世間があちらこちらに敷いていくラインに敏感に反応して、自分から率先して駄目を出していくのです。
 一方、この物語に登場する二人目の主人公・伊賀さんはラインのこちら側にいる人です。異性からも同性からも好意を持たれ、若くして有名な短歌賞を受賞し、デザイナーとしての地位も持っている、世間から駄目を出されない人です。そして国友くんが恋心を抱いている舞子先輩とも付き合っているのです。そんな、普通だったら陰りのない人生を歩んでいるように思える伊賀さんは、けれど、国友くんと同様に自分に駄目を出していくのです。ラインのあちら側に行けない自分に。本当は行きたいかもしれないのに、行きそうになる自分にびくびくしたりします。もしかしたら国友くんに恋心を抱いているかもしれないのに、自分(男)がまさか男に惚れるはずがないと怖がったり、短歌界での自分の評価を越えられずに思い切ったチャレンジをできないでいたりします。
 この小説は、そんな二人のモノローグが交互に重なりながら進んでいきます。ということは、ずっと、駄目出しがつづくのです。読んでいるこちらまで、つられて自分への駄目出しを始めてしまいそうになるほどつづくのです。というより、始めてしまいます。つらいです。けれど、あるとき気づきます。そこには短歌があるのです。それは、ひょんなことから短歌を始めることになった国友くんが詠むものだったり、伊賀さんが、舞子先輩が詠むものだったりします。ページをパラパラとめくりながら遠目に見ると、前後に一行を空けて、小説の流れを分断するかのようにラインが一本敷かれた箇所があります。一見すると分断しているかのように見えるそのラインは、実際は、一筋の言葉の連なりなのです。

きみをみて一部元気になったのでプールサイドで三角すわり ——国友克夫

 ここに世間の判断は、普通というラインは、駄目出しはありません。国友くんも伊賀さんも、そこでは初めて自由になるのかもしれません。ラインから自由ではない自分を、自由に詠うことはできるのです。短歌という曖昧な言葉の連なりが持つそんな力を頼りにして、二人は、章のタイトルにもなっている「うばたまの」ような闇から次の一歩を踏み出そうとします。

だいじょうぶ 急ぐ旅ではないのだし 急いでないし 旅でもないし ——伊賀寛介

 だいじょうぶ、がどこに向けられた言葉なのかは曖昧にしたまま、でも、「ひさかたの」空を見上げながら歩いていけたらいいのかもしれないと、この『ショートソング』を読みながら、次第に思えてくるのです。きっとその空は、曇天なのです。

2010 09 14 06:32 午前 | 固定リンク | トラックバック